PSYCHO-PASSというアニメで紹介されていたので、手に取りました。PSYCHO-PASSの世界で、生身の動物が希少になっているところなどは、この小説の影響かもしれません。「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」は、核兵器で地球は衰退の一途をたどり、多くの人がアンドロイドを従えて地球を去っていった、そんな未来が舞台です。主人公のリックは、逃亡して地球にやってきたアンドロイドを処理するハンターをしています。アンドロイドたちとの関わりを通して、リックは彼らをモノとみなして処理することに疑問を持ちます。彼はさんざん苦悩して、人間には間違ったことでもやりつづけなければいけないことがある、と悟りました。……というお話です。このお話を読んで、主人公のリックは憎めないダメ男だと思いました。既婚者でありながら、他の女に恋をして、失恋し、やけっぱちになってさらに別の女に手を出す男です。妻のことは愛してはいるようですが、リックの彼女にたいしての愛情は、息子が母親にたいして向けるそれに近い感じがしました。実にダメな男です。ですが、自分のありように悩んで、最終的には少しだけ成長する、彼の優しさや純粋さが愛らしいと思いました。
ブレードランナー
ブレードランナーのサントラといえば、権利関係のごたごたから、長い間まともな正規盤サントラが出なかったことで有名です。なかなか出ない正規盤を尻目に、これまで様々な海賊盤がリリースされてきました。その中にはOFF-WORLD盤やGONGO盤など、今でもマニアの間で高額で取引されているものもあります。
ですから、今回このような形で3枚組みの正規盤が発売されたことはうれしい限りですね。
さて、本サントラですが、1枚目は過去にリリースされた正規盤のリマスターですから、今作品の肝は、これまでの未収録曲を収めた2枚目と、新たにヴァンゲリスが作曲した3枚目、ということになります。
個人的には、3枚目の新曲が意外に良いと思いました。ジャジーな「Perfume Exotico」や、神秘的な「Spotkanie Z Matka」が印象的です。他にも、「Piano In An Empty Room」の静かなピアノの音色もいい感じです。特に秀逸なのは「Sweet Solitude」で、雨の休日にグラスを傾けながら聴くと、すごく雰囲気が出ていいですよ。
ただ、正直な所を申しますと、この3枚目はブレードランナーとは切り離して考えたほうがいいかもしれません。あくまで映画のインスパイア曲ですから、合う人・合わない人が出てくると思います。ヴァンゲリスの新作として聴いたほうが、すんなり受け入れられるでしょう。
肝心のディスク2枚目についても、マニアが一番期待していたであろう「End Titles」の長尺版は収録されていません。また、「扇の的」「千鳥の曲」などのマニアックな曲も入っていません。
パッケージがデジパック仕様というのも好みが分かれると思います。
ですが、今まで海賊盤でしか聴けなかった多くの未収録曲が、高音質の正規盤で聴けることは、素直に喜ぶべきことでしょう。その点では、このサントラは”完全版”ではないにしても、”決定版”として充分に価値のあるものだと思います。
この映画は公開当時にはほとんど閑古鳥が飛ぶ始末でした。僕はジョージハリソンのプロデュースした「バンデッドQ」と同時上映で見た記憶があります。どちらも中坊の僕にはかなり受けました。そして、哲学への道を示してくれたのもコレがきっかけです。
ブレードランナーを先にみていたのですが、後にキューブリックの「シャイニング」にはまりました。しばらくしてあることに気付きました。
ブレードランナーとの映像的な共通点です。
本来は「シャイニング」が先に製作されたようですが、僕は逆の順で見ています。色々本など見ていくうちに、ブレードランナーのエンディングタイトルに劇場版で使っていた山々を上空から撮影したものが実はシャイニングのオープニングで撮影したものであり、キューブリックが使わなかったフィルムを使ってるということでした。
どうもリドリースコットとキューブリックは仲良しのようです。
なので、個人的には僕はこのエピソード以来「ブレードランナー」を鑑賞した後には必ず「シャイニング」を鑑賞していました。
何かは分からないけれど、この2つは一つの映画のような気がしてならなくなりました。
そして、はっきりと分かったのは、タイレル社の社長と「シャイニング」でバーテンダーの姿の悪魔(?)を演じている俳優が同じ人なのです。どちらにも共通する印象は不気味さでした。
タイレル社は言わばレプリカントなる模造人間を作り出す会社でした。そしてシャイニングではジャックニコルソンが1杯のバーボン・オン・ザ・ロックの為に魂を捧げる相手として登場するバーテンダー、即ち悪魔が欲望を叶えます。どちらも人間の深き欲望を叶える立場に位置している。これらは偶然か?あるいは意図的なキャスティングか?!
この二つの映画を繰り返し見ているとだんだんタイレル社の社長が悪魔に見えてきます。どことなく、彼の耳の先がとがっても見える。暗闇のLAを支配しているようにも見える。なぜ、この世界はこんなに暗いのか。まるで世界が悪魔にでも支配されているかのようだ、と。
「ブレードランナー」で男と女、アダムとイブが出会い、楽園(?)の外へと逃げていく。逃げた先には年を取った男と女と二人の子供がいる「シャイニング」の世界。そして、結局悪魔からは逃げ切れなかった男。男はどこまでも破滅的という物語。
これは僕の勝手な妄想に過ぎない。けれど、この両者にはなにか深いところで強く結ばれたものがあるように思います。
もし、機会があったら是非比較してみてください。